みんな多かれ少なかれ病気というものをもっていると思うんだけど、わたしも例外ではない。
歳をとってきたから、体のあちこちに痛みが走る。
疲れがとれないだの、朝までぐっすり寝むれないだの、体の節々だ痛いだの、それはいろいろある。
でもそれ以外に、わたしがずっと苦しんできたのは、閃輝暗点とそれに伴う激しい頭部発作である。
初めて発作を経験したのは、わたしが23の頃。
約30年前のことだ。
ある夜明け、きょーれつな頭痛で悶絶するほどの苦しみと痛みに襲われた。
眼の奥を中心として、顔が押しつぶされるような痛みの連続。
汗でシーツはべとべとになるほどで、激しい痛みに伴う嘔吐。
最後は、あまりの痛さに、そのピークに気を失うほど。
気を失っている間も、痛い痛い!と心のどこかで叫んでいて、神経が限界を兆す感じがつづき、地獄のような数時間だった。
最初の頃は、決まって夜明けに発作は起き、
あの頃は、病院に行っても原因がよく分からずに途方にくれた。
ある先生に、
「群発頭痛ではないだろうか」
と言われ、大きな医学辞書をめくられて、「ほらこれこれ」と指をさされたところを見ると、たしかに「早朝に発作が起き、割れんばかりの頭部発作に襲われる」という症状が似ていた。
何度か、発作を繰り返しながらも、自分の発作の原因が一体何であるのかがわからなかった。半年まったく発作が起こらない時もあれば、1か月に2度起こる時もあった。
インターネットが発達して情報が集まってくると、
自分と似た病気で苦しんでいる人たちがいるんだということに、励まされ、勇気づけられた。その人たちが書いた病気への対処や予防法などを参考に、何年かあれやこれやと対策を打ち、この病気と付き合ってきた。
わたしの一番の望みは、閃輝暗点はまだしも、その後の、この地獄のような発作をなんとか防止するにはどうすればいいのかということだった。なにを食べたらダメなのか?何を食べたらいいのか? なによりびしゃりと効く薬がないのか?
今回、わたしがこれをブログを書いたのは、
この発作を回避する薬に、ふとしたことで幸運にも出会うことができたということ。
もしも、わたしと同じ苦しい思いをしているのであれば、その薬を試してみてはどうかと思ったから。
閃輝暗点という言葉を知ったのは、45過ぎた頃か。
閃輝暗点という症状だけでも、わたしの心には大きなPTSDになっている。
ネットで閃輝暗点のギラギラしたイメージ写真や画像を見るだけでも、
胸が苦しくなる。激しい嘔吐の一歩手前に瞬時にトリップする自分を感じる。
(だから、このページではイメージ写真すら載せたくない)
最初、閃輝暗点がなぜ起こるのか分からなく、
ただ怖がってばかりの私だったが、閃輝暗点を逃げずに、目をつぶり、じっと見ていると、眼の奥の血管がばんばんに膨らんでいるのが見てとれた。
網膜の奥で、わたしの眼を構成している細い細い血管が大量に放出されたセロトニンのせいで、ばんばんに膨れ上がり、神経を強烈な力で圧迫しているのだ。なるほど。理論通りだ。
これほど眼の中でギラギラに光るほど膨張するということは、一体なんなんだろう。
ギラギラは時間とともに膨れ上がり、大きな波となって視界を奪うほどである。
このギラギラが針の先ほどの大きさでチラリと見えた瞬間、
今までなら、私はその後すべての予定(出勤も)をあきらめ、
その後やってくる地獄の発作に備えて、洗いものを片付け、タオルを用意し、嘔吐バケツをそろえたりといったことを、15分くらいの間で終わらせ、寺に入る尼の如くベッドに横になる。心は惨憺たる悲しみに襲われたまま。
でも、今は、閃輝暗点がちらりとでも起こった瞬間に、
大急ぎで、薬箱から「SG配合顆粒」を取り出し、1袋のむ。
それが1秒でも早いほうがいい。
1秒遅れれば、痛みに追いつかれる。
まるで化け物との戦いそのものである。
一秒が命とりになる。
もうあの発作は経験したくないのである。
SG配合顆粒をはじめて飲んだ日は、それが効くと思っていなかったせいか、その後、発作が起こらなかった自分にぽかーんとした。
果たしてこの薬が効いたのか、たまたま閃発作を伴わない閃輝暗点だけだったのかが分からなかったからだ。
あれから、5回閃輝暗点が起きたが、
すべて、SGをのみ、閃輝暗点が治まった後は、激しい発作は起こっていない。
あきらかに、SGはわたしに効いているということを感じて、うれしくてならない。
45を過ぎて、婦人病(子宮内膜症)を経験したわたしは、ホルモン分泌の乱高下による腹痛やはげしい低血糖による体の震えに苦しんできたが、閃輝暗点が起こるトリガーになっているものとして、これらが大きく関与しているんだということが推測できた。
ホルモン分泌の乱れ → 低血糖症状による眼球の腫れ、手足の震え → 閃輝暗点 → 激しい頭部発作
そんな流れで発作が誘発されていったのではないかと、今は思っている。
でも、3日前、夜10時に閃輝暗点が起こったのだが、
あきらかに、低血糖ではなかったことから、なにか他の原因が発作を誘発しはじめたのではなかなとも考えられる。
いずれにせよ、どの誘発原因にせよ、今のところ私の発作を防止するためにピリン系のSG配合顆粒は大きな効果を発揮してくれている。
わたしと同じ病気で苦しんでいる人に、
ぜひ、この薬の存在を知ってもらいたい。
飲むタイミングを間違わないように。
頭痛が起こってから飲むようにという人もいるが、それでは遅いように思う。
光をみた瞬間から1秒でも早く飲んだ方が効くように感じる。
市販では、セデス・ハイGが同じ配合をしているようだが、
セデスハイGだと効きが悪いということを聞く。
そこはSGのもつ頓服のメリットかもしれない。
お医者さんに行って、
「ぜひSG配合顆粒を試してみたいので処方しください」
そう言えば、2週間分処方していただけると思います。
(頓服は中毒になりやすいことから、薬事法では2週間が最長なんだそうです。じれったいですが)
あなたの発作にSGが効きますように。
祈ってます。
2017/03/05
2017/01/02
[2016年 紅白] 圧倒的な存在感と感動 - 高橋真梨子さん
韓国関係以外のものを書くことはほとんどないので、ちょっと緊張。
久しぶりに書くし。
仕事がいそがしくてね。なかなか書けない。
(大みそかも元旦も仕事・・・。うちの会社は超ブラッキー!!!!)
でも、今日は心が大きく突き動かされるものがあったから、書く。
わたしは紅白が大好きで、毎年かならず見ている。
どんなに視聴率が落ちても大好きなので、必ず見る。
もう50過ぎたわたしには、ダウンタウンや漫才よりも、
大みそかは紅白が一番なのよ。
紅白にはいろんなものが詰まっている。
その年その年の日本というものが抱える重大な事柄を準国営放送局たるNHKが(そうでしょ?)、整理してくれている。それを見るだけで、一年を振り返って感慨深くなる。
紅白は、みんなの心が一つになるところ。
また来年もかならず災害があり、雨が降り、わたしたちは山が川が崩れて泣くだろう。
でも、乗り越えていかなきゃいけないんだって思いながら。
昨年は、東北が未だ復興してもいないのに、熊本や鳥取が地震でやられた。
土砂崩れもあった。悲しい事件がたくさんあった。
わたしたちは、被害を受けて苦しんでいる各地の最新の状況を知ったり、歌がどれだけ地方を勇気づけてきたのかを知ったりする。
2016年の紅白は、ゴジラが出てきたり、タモリ&マツコが永遠に会場に入れなかったりというグダグダの余興を楽しんだりしている内に、一人の歌手の登場に、わたしは目をくぎ付けにされる。
高橋真梨子さん。
もう、とってもびっくりした。
涙があふれてあふれて、もう、なんだろうこの感動は・・・
この高橋真梨子さんって、昔からとーってもお歌が上手な方で、そりゃあ伸びのある歌声と簡単に人を寄せ付けない強さみたいなものがあって、とにかく安っぽくないところがスキだった。
昔は、インタビューやトークに出ても、
すぐに人になびかないし、お世辞も言わない。
観客に受けようともしないし、流行も一切追わないスタイル。
(今は少し変わられた感じがする)
そういえば、ザ・ベストテンの鏡のドアから登場する時も、へらへら笑いながらなんてなかったなぁ。
さっさと歌ってさっさと帰っていったような人。
でも、だからといって、周りに失礼なタイプでなく、
自分の世界をきちんと持っていて、自分の世界と他の人の世界の境界を大切にするような、そんなかんじのお姉さまに見えた。
とってもとってもクールで、わたしたちは子供心にそんな彼女に憧れたっけ。
高橋真梨子さんの世界って、もちろん「歌」なんだろうけど、
昔から、彼女の歌唱力は独特でハイレベルで、歌が上手くて当たり前。
歌のほうが彼女に必死についてきたようなところがあったように思う。
他の歌手を見ていると、必死に歌に挑戦していて、リスナーは一曲歌い終わるまでハラハラして見ていたものだけど、高橋真梨子さんに限っては、あまりにも上手すぎて、歌がみごとに調理されて皿に盛られてくる。三ツ星のね。
歌が主体なんかじゃなかった。
高橋真梨子さん自身が主体だった。
彼女自身が歌そのものだったように思うの。
このイメージは山口百恵さんにも感じたことがある。
彼女の場合は、女優。歌を演じきって歌った女優。
彼女が歌そのものを演じていた。
2016年の紅白を見ていたら、
高橋真梨子さんではなく、彼女の「歌」がようやく主役になっていくのを感じた。
えらそうなことを言うと、
いままでなんの問題もなく(そう見えた)さらりと歌っていた歌を、必死に追う高橋真梨子さんを初めてみたということ。
こんな構図なんて絶対に見ることないと思っていたわたしは、心から驚いたし、時の流れを感じて、気が付いたら涙をたくさん落としていた。
♪ 消え~な~い あやま~ちの~ ♪
サビの部分。昔なら問題なく伸びた高音が出づらく、苦しそうな顔をしている。
心臓が止まりそうだった。
当然、筋肉が衰え、声量がなくなってくるだろうし、高橋真梨子さん独特の、高い音域でもしなやかに伸びる魔法のような声も当然出なくなってくる。
彼女だけではない。
経年はわたしの頭も白髪に変えた。
時の流れに殺意に似た憎しみを覚えて震えている私を後目に、高橋真梨子さんはちゃんとお歌を終えてお辞儀をしてらした。クールは変わらない。
お姉さまは、最後までとっても格好よかった。
しばらく泣くと、心の中である感情がわいてきた。
それは、愛しさと感動。
「昔の伸びのある声と今の高橋真梨子さんの声、どっちを聴いていたいだろう?」
自分に問うたら、
「今のこの声!」って即答できた自分がいた。
具体的に言えば、この「今の姿」だろう。
昔のように、歌を子分のようにいなしていた高橋真梨子さんもステキなんだけど、
今のように、年を経て体の限界と戦いながら歌に挑戦しつづける高橋真梨子さんのこの今の姿のほうが、めちゃくちゃ格好いいのだ!
これは自分の中でもうまぎれもない事実なのだ。
いまの高橋真梨子がとてつもなく格好いいのだ!
魅力的なのだ!
ひきつけられるのだ!
(若いあんたたちにはわかんないだろうが)
そう。わたしは50代だが、自分が67になった時に、あれだけ艶っぽく歌を歌えるのか? 声を出していられるのか? 堂々としていられるのか?
わたしはぜったいに無理だが(体が脆弱)、
でも、残酷なようだけど、高橋真梨子さんには、70を過ぎても、80を過ぎても限界の先の先まで歌っていてほしいと刹那に願う気持ちを抑えられない。
一秒でも、このすばらしい歌声を、この生の歌声をながくながく聴いていたい。
ほんとうにこんなすばらしい歌手と同時代を生きていて、わたしはめちゃくちゃ幸せだと神様に感謝する。
あと一つだけ言わせて。
宇多田ヒカルさんの「花束を君に」はきっとアカデミーにも表彰されるぐらいすばらしいレベルの歌なんだろうけれど、あまりにも難しすぎて、昭和のばばーには歌えないのよ!!!!
詩とリズムが素直じゃないので、リズムがとれない。おぼえられない・・・
でも、高橋真梨子さんの歌は、
詩もリズムも素直。
典型的な流行歌なんだけど、高橋真梨子さんが歌うと安っぽく聴こえない。
これが不思議。詩が深く、心のGスポットをしっぽりとつかまえられる。
かきむしられるようなロマンチックな情景の扉がばーっと開いて、恋愛経験が片手ほどしかない私も、見事なまでに大人の恋の電車に乗せられる。終点まで泣いて泣いて、さんざん泣いた後は朝日を見ながら帰路につく。涙はもうなくなっている。そんな感じ。
高橋真梨子さんの歌力って、一体何だろう。
よくわかんないんだけど、比較するなら、宇多田さんの歌は彼女を見ていなくても成立するんだろうけど、きっと高橋真梨子さんの歌は彼女が歌っている姿といっしょでなければ何か欠けたように感じる。少なくてもわたしたちのような世代から見て。
それは、彼女が昭和という時代をまとっているということと無関係ではないように思う。
昭和生まれの、わたしたちとともに同じ時代を生き抜いてきたという、心が切なくなるような連帯感。
加えて、歌に悩み、体の不調に泣かされながらも歌に真摯に向き合って生きてきた。
それ以外にはだれにも媚びない高橋真梨子の強いクールな姿勢が、わたしたちをして彼女をやばいぐらい格好いいと思わせる。高橋真梨子というアーティストをもっと見ていたいと思わせる。
高橋真梨子さんは、まちがいなく日本の宝だ。
あなたの存在に感謝するわたし。
今度、札幌にライブに来られたら必ず行きたいっ!
真梨子さん、まってるよー。
紅白出てくれて、ありがとーっ。
久しぶりに書くし。
仕事がいそがしくてね。なかなか書けない。
(大みそかも元旦も仕事・・・。うちの会社は超ブラッキー!!!!)
でも、今日は心が大きく突き動かされるものがあったから、書く。
わたしは紅白が大好きで、毎年かならず見ている。
どんなに視聴率が落ちても大好きなので、必ず見る。
もう50過ぎたわたしには、ダウンタウンや漫才よりも、
大みそかは紅白が一番なのよ。
紅白にはいろんなものが詰まっている。
その年その年の日本というものが抱える重大な事柄を準国営放送局たるNHKが(そうでしょ?)、整理してくれている。それを見るだけで、一年を振り返って感慨深くなる。
紅白は、みんなの心が一つになるところ。
また来年もかならず災害があり、雨が降り、わたしたちは山が川が崩れて泣くだろう。
でも、乗り越えていかなきゃいけないんだって思いながら。
昨年は、東北が未だ復興してもいないのに、熊本や鳥取が地震でやられた。
土砂崩れもあった。悲しい事件がたくさんあった。
わたしたちは、被害を受けて苦しんでいる各地の最新の状況を知ったり、歌がどれだけ地方を勇気づけてきたのかを知ったりする。
2016年の紅白は、ゴジラが出てきたり、タモリ&マツコが永遠に会場に入れなかったりというグダグダの余興を楽しんだりしている内に、一人の歌手の登場に、わたしは目をくぎ付けにされる。
高橋真梨子さん。
2016年紅白で、「ごめんね・・・」を歌う |
いやー・・・びっくりしました。
涙があふれてあふれて、もう、なんだろうこの感動は・・・
この高橋真梨子さんって、昔からとーってもお歌が上手な方で、そりゃあ伸びのある歌声と簡単に人を寄せ付けない強さみたいなものがあって、とにかく安っぽくないところがスキだった。
昔は、インタビューやトークに出ても、
すぐに人になびかないし、お世辞も言わない。
観客に受けようともしないし、流行も一切追わないスタイル。
(今は少し変わられた感じがする)
そういえば、ザ・ベストテンの鏡のドアから登場する時も、へらへら笑いながらなんてなかったなぁ。
さっさと歌ってさっさと帰っていったような人。
でも、だからといって、周りに失礼なタイプでなく、
自分の世界をきちんと持っていて、自分の世界と他の人の世界の境界を大切にするような、そんなかんじのお姉さまに見えた。
とってもとってもクールで、わたしたちは子供心にそんな彼女に憧れたっけ。
昔から、彼女の歌唱力は独特でハイレベルで、歌が上手くて当たり前。
歌のほうが彼女に必死についてきたようなところがあったように思う。
他の歌手を見ていると、必死に歌に挑戦していて、リスナーは一曲歌い終わるまでハラハラして見ていたものだけど、高橋真梨子さんに限っては、あまりにも上手すぎて、歌がみごとに調理されて皿に盛られてくる。三ツ星のね。
歌が主体なんかじゃなかった。
高橋真梨子さん自身が主体だった。
彼女自身が歌そのものだったように思うの。
このイメージは山口百恵さんにも感じたことがある。
彼女の場合は、女優。歌を演じきって歌った女優。
彼女が歌そのものを演じていた。
2016年の紅白を見ていたら、
高橋真梨子さんではなく、彼女の「歌」がようやく主役になっていくのを感じた。
えらそうなことを言うと、
いままでなんの問題もなく(そう見えた)さらりと歌っていた歌を、必死に追う高橋真梨子さんを初めてみたということ。
こんな構図なんて絶対に見ることないと思っていたわたしは、心から驚いたし、時の流れを感じて、気が付いたら涙をたくさん落としていた。
♪ 消え~な~い あやま~ちの~ ♪
サビの部分。昔なら問題なく伸びた高音が出づらく、苦しそうな顔をしている。
心臓が止まりそうだった。
当然、筋肉が衰え、声量がなくなってくるだろうし、高橋真梨子さん独特の、高い音域でもしなやかに伸びる魔法のような声も当然出なくなってくる。
彼女だけではない。
経年はわたしの頭も白髪に変えた。
時の流れに殺意に似た憎しみを覚えて震えている私を後目に、高橋真梨子さんはちゃんとお歌を終えてお辞儀をしてらした。クールは変わらない。
お姉さまは、最後までとっても格好よかった。
しばらく泣くと、心の中である感情がわいてきた。
それは、愛しさと感動。
「昔の伸びのある声と今の高橋真梨子さんの声、どっちを聴いていたいだろう?」
自分に問うたら、
「今のこの声!」って即答できた自分がいた。
具体的に言えば、この「今の姿」だろう。
昔のように、歌を子分のようにいなしていた高橋真梨子さんもステキなんだけど、
今のように、年を経て体の限界と戦いながら歌に挑戦しつづける高橋真梨子さんのこの今の姿のほうが、めちゃくちゃ格好いいのだ!
これは自分の中でもうまぎれもない事実なのだ。
いまの高橋真梨子がとてつもなく格好いいのだ!
魅力的なのだ!
ひきつけられるのだ!
(若いあんたたちにはわかんないだろうが)
そう。わたしは50代だが、自分が67になった時に、あれだけ艶っぽく歌を歌えるのか? 声を出していられるのか? 堂々としていられるのか?
わたしはぜったいに無理だが(体が脆弱)、
でも、残酷なようだけど、高橋真梨子さんには、70を過ぎても、80を過ぎても限界の先の先まで歌っていてほしいと刹那に願う気持ちを抑えられない。
一秒でも、このすばらしい歌声を、この生の歌声をながくながく聴いていたい。
ほんとうにこんなすばらしい歌手と同時代を生きていて、わたしはめちゃくちゃ幸せだと神様に感謝する。
あと一つだけ言わせて。
宇多田ヒカルさんの「花束を君に」はきっとアカデミーにも表彰されるぐらいすばらしいレベルの歌なんだろうけれど、あまりにも難しすぎて、昭和のばばーには歌えないのよ!!!!
詩とリズムが素直じゃないので、リズムがとれない。おぼえられない・・・
でも、高橋真梨子さんの歌は、
詩もリズムも素直。
典型的な流行歌なんだけど、高橋真梨子さんが歌うと安っぽく聴こえない。
これが不思議。詩が深く、心のGスポットをしっぽりとつかまえられる。
かきむしられるようなロマンチックな情景の扉がばーっと開いて、恋愛経験が片手ほどしかない私も、見事なまでに大人の恋の電車に乗せられる。終点まで泣いて泣いて、さんざん泣いた後は朝日を見ながら帰路につく。涙はもうなくなっている。そんな感じ。
高橋真梨子さんの歌力って、一体何だろう。
よくわかんないんだけど、比較するなら、宇多田さんの歌は彼女を見ていなくても成立するんだろうけど、きっと高橋真梨子さんの歌は彼女が歌っている姿といっしょでなければ何か欠けたように感じる。少なくてもわたしたちのような世代から見て。
それは、彼女が昭和という時代をまとっているということと無関係ではないように思う。
昭和生まれの、わたしたちとともに同じ時代を生き抜いてきたという、心が切なくなるような連帯感。
加えて、歌に悩み、体の不調に泣かされながらも歌に真摯に向き合って生きてきた。
それ以外にはだれにも媚びない高橋真梨子の強いクールな姿勢が、わたしたちをして彼女をやばいぐらい格好いいと思わせる。高橋真梨子というアーティストをもっと見ていたいと思わせる。
高橋真梨子さんは、まちがいなく日本の宝だ。
あなたの存在に感謝するわたし。
今度、札幌にライブに来られたら必ず行きたいっ!
真梨子さん、まってるよー。
紅白出てくれて、ありがとーっ。
2016年、大晦日、
真梨子にしびれた。
<おまけ>
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