2016/09/17

[韓国映画] コインロッカーの女(2015)


原  題 :チャイナタウン(「차이나타운」)
あらすじ:
チャイナタウンで闇貸金業を営む“母(オモニ)”に育てられたイリョン。
彼女は生まれた直後にコインロッカーに置き去りにされた女性だった。
ハン・ジュニの監督デビュー作である本作は、仁川の暗黒街を舞台に二人の女性の愛憎関係を描いたパワフルな作品。(Filmarksより)


すげーーーーーーーー!

あたし、言葉がでないー!

すごいっっっ!!!!

男のハードボイルドもいいけど、

女のハードボイルドって、想像以上の意外性と破壊力があることに今日気がついた。

もうー、女のもつドロドロと母親パワーってのが半端ないのよーっ!

ああ。いままで女の役者なんて、なよなよめそめそボインボイン~♥しかできないと、
侮蔑バイアスがかかっていたあたしの目を、あたしは殴りたい! ぼこぼこに


哲学がないと映画じゃないってえらそーなこと言ってきたけど、今日この場で訂正しようかな。
哲学なくても、心がわしづかみにされる映画ってあるんだって気づかされたわ。



なんだろう。

映画の最初から途中までは、キム・ヘスさんの圧倒的な存在感に目が奪われて、
呼吸すら邪魔に思えたけど、

後半から、キム・ゴウンさんのとんでもない将来性にためいきが出て出て、
ずーっと、こういう役者さんってものすごい宝なんだよなーって、ぶつぶつ呟いていた。



このキム・ゴウンの計り知れない底力に、
たぶん日本人みーんな圧倒されて終わったんじゃないかしら。

この人、将来がこわすぎるくらい楽しみ。



監督のハン・ジュニさんは、
これは刺激的な娯楽作品です。でも不思議と心があたたまる家族の作品でもありますと言ってた。


なるほど、そういう目線でつくったんだねこの作品。


でも、作品は監督の想像した着地点をはるかに超えて、意外な奥行きを深めた作品になっていったように思うのよね。


それは、やっぱりキム・ゴウンがもつ不思議な魅力がこの作品をただの娯楽作品から、一皮むけたものに魔法をかけたような気がする

主人公に、可愛くも綺麗でもなく、人気Kポップ歌手を使うのでなく、
一見なんの取柄もないそこらのエキストラ風役者を使っておきながら、ヘプバーン並みの余韻を残すってどういうことなんだろう?

わたしはこの破壊力に圧倒されている。

それほどキム・ゴウンという役者がもつ役者力って、

「得体のしれない不気味さと怖さと、将来にたいする楽しみ」がある。

可能性がまぶしすぎて、こわすぎて、正視できないくらい。


すごい役者さん。

キム・ゴウン。これからぜったいに目が離せない。



コインロッカーに捨てられ、下層社会の底辺をはいずりまわりながら生きていく、
薄汚いアウトローな女性。愛する人をめぐる激しい養母との対立
憎しみと悲しみが交差する、生きるか死ぬかの連続



この役、ハン・ヒョジュさんでは成功しなかっただろうな。









2016/06/04

[人物] 金慶珠(김경주) さんについて思う


わたし、政治・歴史を専攻していたわけでもないし、彼女の著作を読んだこともないので、彼女がメディアで論じていることに真っ向勝負もできないんだけど、この金慶珠(キム・キョンジュ)さんを見ていて、ある意味、ほんっと感心するのよね。

たしかに、竹島の領土問題について賛成できないところもあるし、幼少期を兵庫で暮らしたり、日本で長年働いているわりには、あまり日本や日本人のことを理解されてないところもあるようなんですが、ま、それはしょせん根っこは外国人だから仕方ないのかなとも思ってる。

それよりもわたしが何よりも感動するのは、彼女の何にも誰にも負けないマシンガントーク。だれにも媚びない闘争心

とくに日韓関係になると、彼女は燃えるように撃ちまくり、相手が男だろうが、大臣だろうが、総理大臣経験者だろうが、ぜったいに負けない。しかも泣かない。

涙なんて一粒だって見せない!
討論する上では、女性を武器にもしない。

体全身が戦う革命義士。理論武装完備&爆発!
彼女は乞われれば、ひるまずに、ちゃんとリングに出てきて戦う。

相手が話す順番でもそれをも遮り、とにかく機関銃のように持論をまくし立てまくる。
一体、なにが金慶珠さんをこれほどまでにも駆り立てるのかしら。

これは反日教育を受けたからこういうふうになったのか。
家庭のしつけか。
それとも彼女が唯一無二の「彼女」だからこうなのか。

「朝まで生テレビ」をわたしは見たことがないのだけど、だいたい想像はできる。
きっと彼女の独演舞台。白熱しているんだろうなあと。


プライムニュース
動画1   動画2
先日、2015年11月、3年半ぶりの日韓首脳会談を報じたプライムニュースを動画で改めて見ていたのだけど、ここでは、自由に討論するという形式をとらず(とったら大変なことになる)、3人の知識人にスタジオに来てもらって3人がそれぞれ司会者を相手に話すという1対1の問答形式をとっている。

いっしょに論じていたのは、自民党の武見敬三さんと、若手気鋭の国際政治学者、三浦瑠璃さん。

これはとっても安心して見ていられたし、金慶珠さんは終始落ち着いた論調で持論を展開されてた。彼女の言ってることは、非常にまともで、素人でも納得できる内容だったと思う。

むしろ司会者が、日韓首脳会談が11時45分に終了した時、パク大統領が安倍総理大臣を「めし(昼食)に誘わなかった点」に異常に固執して、周りの失笑をかっていた場面のほうが恥ずかしくて、この司会者はなんだ???と思ったぐらい。

さすがの金慶珠さんも笑っていた。
そりゃ笑うわなあ・・・


でもね、あたし、これ見ていて思ったのだけど、
日本のメディアは、彼女をいろんな政治番組に招いてたくさん日韓関係の政治的見解を求めるけど、それってどうなんだろうということ。

だって、彼女って、そもそも言語学者なんでしょ?
大学では、言語学を方法論とした社会学を専攻されてたんでしょ?

博士の学位は政治学でとったわけでもないのに、いつも彼女は国際政治学者や政治家と同じ土俵に呼ばれて、意見を求められている。ある時は韓国政府の代表者のように責められたりする。

「会談の中でパク大統領が軟化したのは、どういう背景があったんでしょう?」
なんて、番記者や帯同官僚しかわからないような内容まで質問してくる。

これに、ものすごい違和感がするのは私だけなのか。

番組を見ていて、爆笑してしまった部分がある。

司会者が、

「朝鮮戦争において、中国兵が韓国に攻め入ってきたことを考えると、パク大統領が北京に行って自分の国に攻め入って来た中国軍の兵士を習近平といっしょに見ている。パク大統領のこの感覚、これってどう理解したらいいんですかね」って金慶珠さんに問い詰めた時だった。

これには、金慶珠さんも周りも大失笑。

こんなことを一介の言語学者に聞いてどうするんだろう???

「そんなことでわたしを責められても・・・」

と彼女は苦笑いしていたけれど、
あまりにも日本のメディアは彼女に求めすぎるような感じがするのはわたしだけなのかしら?

彼女は、たしかに頭の回転が異常に早く、そこらにいる東大卒の男なんて蹴散らすぐらいの大秀才なのだろう。なによりも彼女には知識人韓国人としての「ファイティン魂」がある。

彼女はなにも恐れないのである。
そこは本当に驚嘆する。

相手が、ケント・ギルバードだろうが、元在日総領事だろうが、元総理大臣だろうが、油を飲んで喉をうるおし、「ウリナラ」持論をがんがんまくしたてまくる。

ネトウヨ???そんなもの束になってかかったって彼女には勝てない。
だって、彼女には何年も培われてきた鉄板の理屈があるから。

でも、どんなに彼女が強くたって超優秀だって、彼女は、韓国政府のスポークスマンでもないし、政治家でも政治学者でもない。それは事実なのだ。


このプライムニュースを見ていると、
横に座っている三浦瑠璃さんは金慶珠さんのことを、終始「キムさん」と呼んでいたけど、普通ならこれだけの論客なら「先生」と呼んでおかしくないのに、彼女はただの一度も「キム先生」とは呼ばなかった。

これってどういう意味なんでしょうね?

三浦瑠璃さんは金慶珠さんのことを政治を研究する同じ土俵にある研究者として見ていないのかなあと思った。わたしの邪推かもしれませんが。

金慶珠さんも、三浦瑠璃さんが話している時は、「聞く」というよりは、冷たいほど無視している感じが終始して、この二人はきっと認め合っていないんだろうなあとさえ感じた。

わたしには、この二人の知識人はともにすばらしいと思いましたけどね。


わたしは、べつに金慶珠さんが政治を公で語る資格がないとか言っているのではなく、日本のメディアが彼女に求めすぎなのではないかということを心配する。

ネットでは、また彼女が支離滅裂なことを言ったとか、論理的に辻褄が合わないだの、彼女に向けて「反日」「在日」という言葉をつかって侮辱しているけれど、わたしから見れば、そもそも「政治学」を長年専攻してきた人でもない人に、高レベルの政治的意見や見解を求めすぎなんだよ!と思う。

(話はそれるけど、だいたい人を「反日」と呼び捨てることに身の毛がよだつ。
それって「非国民」というレッテル付けしてたくさんの知識人を牢屋にぶちこんでいた戦争時代と同じことしている。恥ずかしくないのかね。

で、「在日」って何なのさ?
「在日」のなにがいけないの?彼らは犯罪者なの?

あたしは、反日でも在日でもないけどさ、生粋の日本人が聞いていても恥ずかしいんだよねこの差別用語。いい加減にやめない? 中国人の「小日本」「日本鬼子」とかと同レベル)


で、話は戻るけど、
以前、サッチーが有名監督の嫁で、しかも刺激的で辛辣なコメントするからって、なんでもサッチーサッチーってご意見番として言葉をもらいに行っていたことを思い出す。これと同じ。

わたしから言えば、金慶珠さんはたしかに面白い。
サッチーみたく過激な発言が面白いというだけではなく、金慶珠さんは典型的な韓国人のように見えて、ああ韓国人ってこういうふうに物事を考えるんだって知ることができるから。たいていの韓国人は右一辺倒の日本のテレビ番組に臆して、出て意見を言ってくれない。

だから、そういった意味でいえば、金慶珠さんは貴重だ。
くわえて、じつに面白い。

昨今の政治討論の番組はほとんどが右傾番組でつまらない。
ゲストはほぼ全員が右思想。

バランスを保つために必死に左派を招いても、田嶋洋子さんしか出ないことを見てもわかるでしょ? 左は恐れをなして今はメディアに出てくれない。

ある意味、田嶋さんはとんでもないことを言うこともあるけど(ちょとMan Hater的)、貴重な存在なんです。
ちょっと過激だけれども、ああいう意見があってもいい。
女性の偽善的深層をえぐられるような発見がたまにある。


わたしたちは、右ばかりでなく、左の意見も聞きたいんですよ。
右左でなく、そのどちらにも属さない話も聞きたい。
自分がもつ高慢ちきな自明の世界をぐらつかせてほしい。

そうして頭をつねに中立に冷静に保っていたい。
思想は、(社会的常識の範疇にあるなら)百花繚乱がいいに決まってるのだ。

知は揺さぶられてこそ、らせん階段上に進化していく。



ちなみに、先週6月3日白熱ライブビビット金慶珠さんが出ていた。
金曜日にゲストコメンテーターとして出演しているのか。
社畜は、はじめて知っただよ。

録画して見たのだけど、その日はまったく政治的なトピックがなく、金慶珠さんは北海道の山中で行方不明になった男の子を心配したり、多額の金を横領して愛人に貢いだ事件にコメントしたりしていた。

キャシー中島さんが皮膚がんになった下りでは、

「わたしは肌を焼いたら赤くなるのー」

と心配し、皮膚医にいくつも質問をしていた。

社会事件ひとつひとつに、
わー!とかきゃー!とかびっくりしたり感動したりしていて、わたしは金慶珠さんが一般女性として普通の感覚ももっているんだなあと、ちょっとびっくりした。

へー。

ちょっとびっくりしたというのは、
わたしは彼女が「わたしはなんでも知ってるのよ!」的な高慢な態度をいつもとるような人と誤解していたので、童子のように専門家に質問しているのが意外だったのだ。

頭も優秀だけど、一方で、なんだかとっても親近感をもてていいじゃない。

制作側もこういう意外性をもっと狙ったほうがいい。
ステレオタイプに見られている人の意外性に光を当てると、自明の世界が崩れて、いい。

硬派に政治を語るのもいいけど、こういう軟派な部分も見せてもらえたら、バランスがとれていい。
がんがんとマシンガンのようにまくしたてても、聴衆はついてこない。
もっと人間金慶珠さんを知ってもらったほうがいいのではないかしら。
おおかたの日本人は、人の話を聞かないステレオタイプの韓国人像にうんざりしているのだから(こういう風になってしまったのがとても悲しいし、危険だと思う)。


すみません。
それほど、わたしにはこの方、パワフルすぎて衝撃的な方だったもので。
わたしが一番人間扱いしてなかったのかもしれない。わはは。

また金曜日、録画して金慶珠さんを楽しもうっと。





※ちなみに、わたしが金慶珠さんの竹島(独島)にかんする考えに賛成できない点があるというのは、わたしは日本と韓国の間に、領土紛争があったということについて、この数年しか知らない。日本人のほとんどはそうじゃないのかしら。

だから、わたしはあの島が日本固有のものであると長年信じてきたなんてウソは言えないし、その情熱もなかったし、今でもないのよ。たいへん情けないけれども。
あるとすれば、領土紛争があるにもかかわらず実行支配をしつづけてきた韓国にたいして日本はどれくらいの自制を求める政治的行動をとってきたのかという点と、やはりウリナラ一点張りの韓国の主張。どちらにも大きな違和感がある。

でも、日本人は国際司法裁判所でどちらの国に属するのかを決めてくれたらそれに従う。ほとんどの日本人は公平な第三機関の判断には従うでしょう。戦争してまで竹島を守るなんて気持ちにはなれない。そういう意味で、そもそも司法裁判所の判断なんて要らないとする金慶珠さんとは相容れないかな。これだけの知識人なら、正当性や権利主張だけを連呼するのではなく、他にもっと建設的な言い方がないのかしらと残念に思う。たとえそれに実効性がなくてもだ。

わたしは、金慶珠さんの韓国人らしさを楽しみながら、一方で彼女が肝心な時に韓国人という枠に安住している姿にもどかしさを感じたりする。知識人は知識人としての十字架があるからだ。


ああ、竹島(独島)が、日本と韓国でいっしょに開発したり住んだりする友好の特別区にならないかしらね。平和を願う一民として、愚かでささやかな願いですわ。

2016/05/27

[韓国映画] 気まぐれな唇 (2002)

気まぐれな唇 (原題:生活の発見 생활의 발견
監督: ホン・サンス
出演: キム・サンギョン,チュ・サンミ,イェ・ジウォン
収録時間:115分
ホン・サンス監督が韓国の新人、キム・サンギョンを主演に、“男の本性と女の本音”を赤裸々に描き、大胆なベッドシーンも話題となった官能ラブストーリー。旅先でふたりの女性と恋に落ち愛に翻弄される主人公の男のユーモラスで哀愁に満ちた姿を描く。 ゲオレンタルより



すみません。
わたし、ホン・サンス監督の作品が好きではありません。

巨匠だとか言われてるから何本か見たんだけど、
どうレビューを書いていいのかまったくわからない。
いつも不快感しか残らない

どんなに冷静に考えても、
そもそもなんでこんな作品が生まれてくるのか。
その発想の根源が理解できない。

わたしみたいな芸術がわからない野蛮人ってこの手の監督さんの考えにはついていけないのよね。きっと。
下記にある監督インタビューを読んでもわからない。
(わからないのにレビュー書くなってか)

そもそもこういう映画を作って公に見せるって考えそのものに唖然とする。

それぐらい彼の映画に登場する人物に嫌悪感があるのだ。
彼の映画に登場する人物はみんな人生の負け犬

でもね、大した負け犬じゃないのよ。
彼らはみんなどこにでもいる市井の人。
なかなか就職できなかったり、女に相手にされなかったり、歩いてたら犬の糞ふんづけたり、上司に好かれなかったから昇進できなかったり。

そこらへんにいる、わたしたちが主人公なのよ。
でも、その主人公に共通する特徴が、神経的にちょっとおかしい。

自分の運の悪さを他人のだれかのせいにする。
酒を浴びるように飲み、卑猥な言葉を吐き、
うじうじしていて、女(男)をストーカーして追い回し、服を脱がしたがるセックス狂。
ああ、近寄っちゃいけない。

負け犬なら負け犬らしく、愚痴言いながらも、次の朝がくればまたひたむきに生きていこうって姿を見せればいいのに、それがない

自分の運勢が悪いのは、つねに誰かのせい。
この手の人間は、「朝が来るから悪いのだー」という、バカボンのパパ的発想までいく(赤塚不二夫先生、尊敬してます!)。

だから、こんな人間なんか見ていたくなんかない。

なんで私たちが映画を楽しむと思う?

1秒でもこの世の憂さから離れたいから、せっかくの休日に映画を見ているのに、
そこで、まさに自分が毎日出会っている薄汚れた人間どもを目の当たりにしなければならない苦痛。
ほんとうに言葉を失くくらいショックを受ける。

わたしはなにも自分が彼らよりマシだと言いたいんじゃないの。
それどころか、自分が一番糞だということぐらいわかっている。
自分の薄汚れた心のすみずみまで自分が一番わかっているからだ。

だから自分という糞野郎が関わっているこの糞世界から離れたくて映画というDream Landにほんの数時間溺れていたいのに、そんなささやかな望みを、このホン・サンス監督はひひひと笑いながらぶっ壊していく。甘えたことぬかしてんじゃねーよって声が聞こえる。

ホン・サンス監督自身はインタビューでこう語る。

世の中には幸せに暮らしている人たちがいます。
確かにいます。そんな人たちは、さておき、私はそうでない人たちを描きたいと思っています」

それはわかる。
それでないといい作品は書けないわよね。
でも、ホン・サンスさんの作品には「希望」が見えない。
その片鱗さえない。

だから、見た後、いつも落ち込む。
いやーな気持ちになる。
彼の作品を見る時は、身構えるか、避けるか、体調のいい日を選ぶか、もしくはうっかりして。

彼が対象にしている人が、お金もち貧乏人両方を含めている点は、すばらしいと思う。
だって、お金持ちにも不幸な人がいて、それをあぶりだすって気持ちがいいじゃない?

つまり、
「ああ、お金ないけど幸せだな」って感じられない貧乏人。
「金もってるけど、糞だなこの人生は」って不満をもっている金持ち。
「そこそこの生活してるけど、おれって糞不幸だな」って思っている中流階級。


監督は、どの階級の人間にもかならず「幸せ」を感じる「センサーが欠如」している人間どもがいることを知っていて、その不幸せな人間どもに共通して存在する「焦燥感や孤独感」を餌にむさぼる。

どんな貧乏でも、道端のたんぽぽを見て、
「わ!かわいいー。今日なんかいいことあるかも」って考えるポジティブ人間には、監督は一切興味を示さない。金持ちでも、「俺にはたくさんの金がある。よし。たくさん寄付をしよう」なんて人間、つまんないわよね。だって放っておいてもそんな人たちは幸せに生きていくんだから。

だから、目の前にある「しあわせ」に気づかない人間がこの世で一番不幸せで、まさに芸術の対象になる。監督の狙いは、王道なのよ。

インタビューの冒頭でも記者がこう書いている。

「彼が描いてきたものは、日常の倦怠感と不条理、そして、まともに見える人たちの、ねじれた心情だ。それらを浮き彫りにする窓は男と女、いや、雄と雌の性をめぐる関係とコミュニケーション、あるいは断絶だった」

うーむ。
やっぱりたまったもんじゃないホン・サンス作品は。

どうして彼の作品が芸術としての価値が高いのか?
わたしには理解できない。

だって、監督は、まともに見える人たちの、ねじれた心情を、ねじれたままその場に置いて行っちゃうから。
加えて、うざい、退屈、だます、だまされる、つまんない、憎らしい、殺してやる、くそったれといった人間が手にあますあらゆる感情の合間を埋める表現に、AVまがいの「セックス」をたくさん介在させる。食ってセックス、泣いてセックス、笑ってセックス、寝て起きてまたセックス。

わたしたちの頭がつまんない糞人間とセックスでいっぱいになった頃に、映画は終わる。
残されたのは、強烈なセックスシーンと溜息と、つまんない夕焼け。
夕焼けさえもつまんなく覚えさせるのはホン・サンス作品だけ。

でも、その手法は、わたしにはもてない男が公共の場でするマスターベーションにしか見えなくて、不快感だけが増す。なんの意味があるんだろうこの映画って。

わたしたち人間はこんなに糞なのか。
こんなに希望がないのか。
(そりゃそうだ。戦争と略奪と強姦ばっかりしてきたんだもの)

甘えたクズ人間だけが求めるものなのかしら「希望」って言葉は。
「気まぐれな唇」を見て、人生に意欲がわいてきたって人は、すごいと思う。
わたしこそ、そういう人になりたいのに。

ああ。ごめんなさいね。
文句ばっかで。

だれかがTwitter で言ってたっけ。
「素人が映画を語るな」って。
ふふふ。
ところであんただれよ?

語ってないわよ。
愛しているのよ。
あんたよりずっと深くね。







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