(130分,韓国,「똥파리」)
※ネタばれあり。注意!
あう、わたしも息もできない。
泣ける・・・とにかく泣ける・・・
なにが泣けるって、こんなに人を殴り続けるって、あんたって人間は一体どーなっちゃってるのよおおお???って泣ける・・・
この映画を見て感じたのは、暴力で育った人間は暴力によって最後は終わるってこと。哀れな末路がまっている。
果たしてこの暴力の連鎖から逃げられるんだろか?
これがわたしの関心になった。
主人公のサンフンはヤクザな取立て屋の仕事をしていて、社会の底辺をゴキブリのように生きてきた無学で礼儀も知らないただのチンピラ。
だけど、幼い子供や弱い女性にはけっして手荒なマネはしない。
ぶっきらぼうだけど、隠れて見守り続ける男らしい愛情をもつ。
ほんっといい男よ。
でも、のっけから目を被うばかりの暴力シーンの繰り返し。
わたし、逃げたくなった。
この映画は、見るだけなのに、体力や精神力が大量に要った。
なんやねん。
ほんとーにつらかった。
小さい頃から父親の暴力が原因で、しあわせな家庭にめぐまれなかったサンフンは、父親にたいする怒りで胸いっぱいに育った少年。
大人になってからは、刑務所から出てきた父親を毎日半殺しの目に合わせる。
これがすごいのよ・・・
父親は刑務所では毎日自分の罪を後悔し、出所後も苦しみ続けていたのに、サンフンは父を許さない。とにかく父親の顔を見ると、これでもかこれでもか!と殴り続ける。
鼻血が出て、顔が変形しても止めない。
足も腰も立たないくらいボコボコに。
目を覆わんばかりよ・・・
暴力で自分の家族を壊してきた親父の悲しさ、
そしてそんな親父を殴り続けることしかできないアホ息子の悲しみ・・・
ああ、2人とも、バカね。
わたしはこの映画の一つのテーマはここだと思う。
殴り続ける人の悲しみね・・・。
サンフンが小さな甥に、
「ほんとうは優しいのに、なぜおじいちゃんを殴るんだ?」
と泣きながら、胸をわしづかみにされる。
本当だ、自分はなぜ殴り続けるんだ・・・もうこんな生活はやめよう。
まともな自分になろう。
サンフンが、借金の取り立て屋を辞めて、人としても生まれ変わるんだと決意した時は、
これで彼の人生は大きく変わっていくんだと期待したのに・・・
運命は残酷だったわ・・・。
でも彼の死は、この映画で言いたい部分ではないと思うの。
大切なことは、彼があれほどの暴力まみれの生活の中でも、
変わる契機があって、彼がそれに「挑戦しようとした」って点ね。
そして、彼が死んだ後、彼を通じて知り合いになった人たちが縁をはぐくんで、一つの疑似ファミリーみたいな人間関係をつむぐ契機になったこと。
これがすばらしかった。
変わろうと挑戦する姿勢、そしてそこから生まれる人とのつながり。
それこそが目立たない日常生活の中の「ドラマ」なんだと思う。
このドラマチック性に目をつけて脚本化したヤン・イクチュン監督のセンスがすばらしい。
どんな糞人間にも希望があるのだ。
こんなすごい映画を作ったヤン・イクチュンって人は、天才よね。
主人公を演じただけでなく、脚本・編集・製作と、なんと多才なんでしょう。
世界で25もの映画賞をとっただけある。
圧巻の映画よ・・・なんといっても脚本が勝っている。
ため息しかでない。
ヤン・イクチュン
キム・コッピ